橋下徹とフェミニズム
割と勢いで書き始めたのであまり期待できない。
僕の橋下徹氏の評価をパラメーター風に言うと「芸能10政治0」になりますね。
氏の政治スタイルが「既得権益持ってる人を名指しして殴る」というショーの形式をとっていることは論を待たないと思うんですけど、これは既存の枠組みを破壊する目的には大変効果的でありまして、効果的すぎて、実際いろいろなものがメタメタに破壊されたのですが、その破壊したことによる政治的効果というとさっぱりわからないです。たぶんないかと思います。
橋下治世の不幸は、得意分野である芸能的な政治ショーに明け暮れたため、「ほんで次はどんな実務で社会をまわしていくんですか?」というところで全然何も行われなかったことにあると思います。利害関係を調整しながらルールをつくっていくという取り組みはこの7年間全く行われませんでした。それでもショーの力があればそれなりにおひねりがもらえるのが世の無常でございます。世の中殴るやつと殴られるやつがいればそれはコンテンツになって消費されるのです。僕はそれを政治と呼びたくないですけど。
さてさて、表題に翻ってフェミニズムですよ。
実はフェミニズムも橋下徹氏と同じく「芸能10政治0」のパラメーター振りじゃないのかと、先ほど思い立ちました。
フェミニズムのスタイルは「既得権益を持っている男を名指しして殴る」というショーの形式で支持を集めてまいりまして、これは既存の男社会の枠組みを破壊する目的には効果的ですので、それは戦法としては正しかった、という評価にはなろうかと思います。また橋下治世と違うのは、こと労働環境においては、まだまだ不完全とはいえ、男女平等が進んできたことは成果といえると思います。フェミニズムのおかげだけではなく、労働の質が変わってきたことが大きいとは思いますが、まあそれはそれ。
しかしです、フェミニズムも橋下治世と同じく破壊の後の再生には無頓着であるように思えます。最近話題の弱者男性の議論でも、住処を壊されて野宿している人に「荒野で生きる強さを持て!」というような戸塚ヨットスクールもびっくりのマッチョな意見が少なからずあって、「せめて屋根がほしい」と言うぐらいは許したれや・・・みたいな切ない気持ちになりましたよ、ええ。
上野某先生とか田嶋某先生とか、橋下氏と一緒で、ショーで喝采を浴びるのが楽しくなってしまった世代の人はいざ知らず、次の世代の良識ある皆さまは、弱者男性だけを捉えて論じず、社会環境の変化を踏まえた上で、「男も女も社会とどう関わっていくのがよいのか」とか「社会とのかかわり方をどう再構築していくのか」みたいな、フェミニズムの次のところをお考えいただいたら、もっとみんな幸せな世の中になるんじゃないかなぁと思います。
どうしても「男の幸せとか考えるのは真っ平御免」というのであれば、せめて「妊娠・出産・子育てをしやすい社会をどう作っていくか」みたいなところからお考えいただければよいのではないかと、と申し上げて終わりにしたいと思います。
・・・やっぱり勢いで書くもんじゃねーな。
まあいいか。